月下の一族4




 瞳を開けて、最初に見たのは青い空。珍しい、と快斗は思った。 

 



 珍しい。天窓越しに空を見るのはいつものことだが、こんな青を見るのは久しぶりだった。 
 一族のなかでも体が弱く、月が出てからでなければ活動的になれないことの多い快斗が見る
空は、たいてい黒い。月と細かな星々が、その存在を隠されることなく居られる、夜ばかり。 
 今は何時頃なのか。兄は昨夜の石を返しに、出てしまったろうかと思い隣を見る。隣には、
予想外にまだ眠る兄が居て、これもまた珍しい、と感じ、そして次には恐怖を覚えた。 

 「兄貴・・・?」 

 疲れているのなら、無理に起こしたくなくて、声を小さくして呼びかける。起きない。きっとよほ
ど疲れていたのだろう、と考え、でも、と思う。昨夜キッドが持ち帰ったのは聖杯だった。 

 (そうだ。だから・・・。) 

 自分がこんな早い時間に目覚めることができたのだと、快斗にはわかる。まるで人間と同じ
ような時間に。 

 (なのに、なんで?兄貴・・・。) 

 思い出してしまうのは、父が倒れたときのこと。 
 双子と寺井を目の前に、盗一は趣味でもあり、表社会で仕事として成功してもいた、奇術を
披露していた。いつも通り見事なもので、盗一が奇術の最後に決まって行う消失の奇術も、ま
ったく一瞬のうちのことだった。 
 ただ、いつもならそのまま盗一と双子とのかくれんぼになって、双子に見つけられた盗一が、
優しく双子の頭を撫でて終わるはずだったのが・・・。 
 双子が庭の木の根本で見つけた盗一は、深く深く眠り、いまも眠っている。 

 (・・・嘘だ。嫌だ・・・兄貴!)

 兄より先に目覚めたのは、今日が初めてのことではない。そしてその都度、快斗は、ある覚
悟を抱いていた。 
 考えたくはない。考えたくはないが。 
 その覚悟を実行する時が、今日ついに来たのだろうかと、声を出して泣いてしまいそうなな
か、ぼんやりと思う。 
 覚悟とは。一族のため、父の後を継いだ兄の、後を継ぐこと。 
 兄のようには上手くできないだろうが、自分が動くことで、少しでも可能性が残るのなら。 
 そして、自分がもし倒れたときには。寺井に、眠る自分達ごと、この屋敷を焼いてもらう。 
 寺井は人間だ。黒羽の血から解放しなければ。優しい寺井のこと。そんなことをさせれば寺
井の心には深い傷が残るだろうが、それでも、目覚めることのない自分達の側で、墓守りのよ
うな一生を送るよりは、暖かな世界で生きてもらいたいと、快斗は思う。 
 実は、寺井には一度だけ話したこともあり、そんな勝手を言う自分を怒るだろうと思われた
が、寺井は、意外にも静かに目を閉じ、何かを考えたろう沈黙の後、頷いたのだった。 
 けれど、覚悟をもっていても、現実としてつきつけられれば世界は途端に色を失う。今日の最
初に目にした空は、あんなにも青かったはずが。 

 「兄貴・・・、お願いだから、起きて・・・。」 

 快斗は兄の耳の下、暖かな脈を感じるそこに手を添わし、指を当てる。そうして、盗一が眠り
に落ちた日に、兄と共に盗一にそうしたように、兄に触れたそこから自分の生気を流し込ん
だ。 
 急速に、自分の身から力が抜けていくのを感じたが、止めるわけにはいかなかった。貧血を
起こすときのように、視界と意識が揺れ始めた頃、ふいに、快斗の胸、心臓の位置に何かが
触れた。 

 「!?」 

 快斗の身に流し込まれるものに、途端に意識は引き戻され、見開いた快斗の目が、兄のそ
れを捕らえる。 





 ―――――起きた。 





 兄が自分の居る世界に戻ってきてくれた。快斗の世界が、一瞬のうちに、鮮やかに色を取り
戻す。 
 けれど、このままではいけない。快斗の胸に触れたのはキッドの指先だった。そして快斗の
身にいまも流し込まれているのは、キッドの生気。 
 兄も自分と同じことを心配して、生気を自分に送り返しているのだろうことは快斗にはわかっ
たが、兄をまた眠らせるわけにもいかず、兄が起きたいま、快斗も兄を残して眠ってしまうわけ
にはいかなかった。 

 「あ、兄貴、兄貴・・・っ・・・待って!やだ!」 

 必死の思いで、快斗がキッドから指を離すと、キッドもやっと快斗の胸から生気を送るのを止
める。互いに見つめ合いながら、深く数度、息をして呼吸をととのえる。 
 そうして改めて、自分を映す兄の瞳をみて、快斗は今度こそ泣いてしまいそうになった。 

 (ごめん、兄貴・・・。) 
  
 ―――――自分ばかりが臆病で。 

 (俺よりも兄貴のほうが、先に目覚める怖さを、何度も味わってるはずなのに。) 

 けれど快斗が覚えている限り、キッドはいつも、快斗の目覚めを柔らかな笑顔で迎えてくれて
いた。兄の強さと優しさに、そして自分の弱さに、泣いてしまいそうになる。 

 「起きてくれて、良かった・・・本当に。」 
 「悪い。寝過ごしちゃったな。」 

 すまなそうに、けれど快斗を安心させようと笑う兄に、快斗は、きゅ、・・・、としがみつく。 

 「いいんだ。疲れてたんだろ?本当は、聖杯からもっともらっておいた方が良かったんじゃな
い?」 

 キッドは快斗の髪を撫でながら、昨夜のことを振り返る。 

 「…そうかもな。自分で思っていた以上に消耗していたみたいだ。警備の厳しさは、いつもと
変わりなかったのにな。」 

 いつもと違ったのは、随分大きくなった工藤新一が居たくらいで。 

 「頼むから、無理しないでくれよ。」 

 快斗はキッドの胸に懐いたまま、兄に顔を見られないようにする。 
 




 快斗の覚悟を、キッドは知らない。