見上げれど楽園はなく空があるばかり




 珍しく怪盗の仕事が続いた。
 偶々、日本に来ている宝石の公開期間が重なっていたせいで、別に警察の手を拡散させる
のが狙いだったとか、そんな意図ではまったくない。きついのはこちらも同じことだ。
 頭上には、遥か遠くにぼんやりと、まわりの雲を淡く金色ににじませて浮かぶ月が、キッドの
時に親父がよく見せていた笑みのように細く、あった。
 
 「待たんか、キッドーっ!!」

 さすがに連日3日目ともなると警察の皆さんもお疲れのようで(そりゃそうだろう、ごめん警部)
俺を追いかける面々の息はぜいぜいと苦しげだ。
 そんななか、警部に負けじと俺を追いかけてくる、元気な高校生探偵が一人。さすがに若い。

 ―――何故、こんなことを・・・?

 今夜もその瞳で、俺の行動の元を探っていた。
 


 (・・・はん)

 何故って。
 どうしても取り戻したいものと、絶対に失いたくないものがあるからだ。
 
 (・・・それを許さないと言うのなら、なあ、探偵君)
 
 お前さんの信仰の内にある楽園は、なんて清らかで残酷なんだろうね。










 日付が変わるか変わらないかという頃に、怪盗の仕事を終えて窓から帰る。寺井ちゃんが迎
えてくれるこの瞬間は好きだ。帰ってきたんだってほっとする。寺井ちゃんに余計な心配をかけ
たくないから、安堵の息は気づかれないように、こっそりと。

 「ぼっちゃま、こちらを」

 寺井ちゃんが大事そう差し出す白い(怪盗の予告状みたいに真っ白だ!)封筒を受け取る、こ
の瞬間。いつもは見ないようにしている遠くの方からやってくる不安を、抑えられない。

 (まずい)

 不安を見せるな。そんなでは親父の代わりは務まらない。

 「・・・今日は、どれぐらいだった?」
 「3時間ほどでございます」
 「・・・昨日より少し長いね」
 「できるだけ消耗しないようにと、ずっと寝室にいらっしゃいました」
 「そっか」

 白い封筒は糊付けがされてなくて、中には雑にたたまれた紙が入っていた。休みたがってい
る体を騙し騙しに頑張って、この手紙を書いたんだろう。
 寺井ちゃんの温かいお茶は今夜はない。俺がすぐ寝室に行きたいのを理解してくれている。










   兄貴へ


  お帰りなさい。今日こそ直接言いたかったんだけど、ごめん、やっぱり無理みたいだ。
  いま、急いでこれを書いてるから、字が酷いね。なんとか読んでください。
  今日は寺井ちゃんが薔薇を持ってきてくれました。ほら、すぐそこに飾ってあるでしょう。
  それね、うちの庭のやつだって。寺井ちゃんが持ってきてくれたのはまだ蕾が開き始め
  のだけど、庭の方にはもう開ききってるのもあるんだって。ヴァンパイアが見たら欲しが
  りそうなほど真っ赤だって寺井ちゃんが言ってた。  兄貴も、今度見てみて。










 最後の一文だけ、ほんの少しだけ間隔が空いていて、インクが薄くなっていた。
 快斗、快斗。お前、この一文を書くのに、どれだけ悩んだ?
 
 「・・・冷たい、な」

 寝台で眠る快斗の髪に触れる。夜の空気をはらんだおかげで、柔らかくて少し冷たい。

 (開ききっているのもあるって?)

 快斗。寺井ちゃんがお前のところに持ってきたのが、まだ開き始めのものばかりなのが何故
か、わからない俺だと?ああ、急がないと。お前は開ききった薔薇よりも、綻んだばかりの蕾の
方を気に入ってるから。早くしないと、庭の薔薇は全部見事に咲いてしまう。
 天窓から月が覗いてる。キッドの笑みだ。満月まではまだ遠い。
 ・・・快斗。

 (馬鹿だなあ、遠慮すんなよ)

 快斗。いいんだ、必要なだけ、お前が欲しいと望むだけ、全部持っていけば良い。全部やる。
俺の生気をみんな、みんなやる。だから明日、薔薇を見るのは俺だけじゃなくて、お前も一緒
だ。寺井ちゃんにも良いのを選んでもらって、摘んで親父の寝室に持って行こう。その方が、親
父も喜ぶ。

 「ぼっちゃま、入浴の準備ができております」

 控えめに、寺井ちゃんの声がかかった。

 「・・・俺、このまま寝ちまいたいなあ」
 「いけません。体が冷えておいででしょう。そのまま寝ては風邪をひいてしまいます。それに」
 「寝る前の歯磨きくらい、するってば」

 快斗を起こしてしまわないように(や、むしろこれで起きてくれるなら、その方が良いんだけど
それでも一応)小声で寺井ちゃんの言葉の先を俺が言うと、寺井ちゃんは器用に片方の眉だ
けを上げて答えた。行儀が悪いと言いたいらしい。ああ、いいなあ。この感じ。

 (・・・絶対、失くすもんか)

 探偵君、お前さん。何度、何故と問われても答えてやる気はさらさらないがね。
 俺がパンドラを求めることで、お前さんの楽園から門前払いを受けようと、いいかい俺は、こ
れっぽっちも後悔なんて、それはもう全くしないぜ?
 お前さんにとっての楽園は、俺からすれば、世に数ある信仰の一つに過ぎない。