見えない月の夜





 秋の深まりつつある、寒い夜であった。月は曇り空の昨日から姿を見せていない。
 快斗は暖炉に火を灯し、この部屋と寝室とを隔てている扉にもたれ、膝を抱えて座り込んで
いた。こんな寒い夜、いつも互いの熱を分け合うように傍らにいる兄は、いまここにはいない。
それが快斗には酷く不安だった。
 寝室とは反対側にある扉の向こうに、寺井の気配を感じ、それまで膝に額を押し当てて何か
に耐えていた快斗が、ぱっと顔を上げる。

 (帰ってきた!)

 「お帰りなさいませ」
 
 迎える寺井の声は静かで落ち着いたものである。

 「旦那様」

 彼が誇りに思う主人が、今夜も華麗なショーを終えて帰ってきたのだ。










 「お帰りなさい!」
 「おや」

 秋の特別公演を終えた盗一が「さて子ども達はどうしているか」と彼の子ども達の部屋へ入る
と、双子の一人が見慣れぬ格好をして、目を真っ赤にし、奥の扉の前にしゃがみ込んでいた。
 子どもはタキシードをだらしなく着崩していて、けれどその崩しぶりが似合っていない。幼い泣
き顔と、その頭の上で揺れている、黒く長いウサギ耳のせいだろうか。

 「快斗?どうして泣いてるんだい」

 いつもなら盗一が戻ると、兄と一緒に駆け寄ってくるか、寝台で兄と掛け布にくるまり盗一が
そっと布をめくるのを待っているのに。
 盗一は快斗をひょいと抱き上げて、泣く快斗の顔を覗き込む。快斗の涙と着崩したタキシード
は、兄と喧嘩をした…などということは、双子に限ってあるはずないと盗一は思っている。
 では、これはどういうことか。

 「旦那様、今夜はハロウィンでございます」
 「…ああ」

 寺井の少し困ったような声で、気づいた。

 「快斗のこれは、小泉さんのところのゲッコーか」

 魔女の屋敷に住んでいるウサギの兄弟…の弟の方が気まぐれで人の姿をとったとき、たし
かこんなような格好をしていたことを思い出して、盗一は快斗の目元を親指でこする。快斗の
涙がこめかみに逸れた。

 (そうか、それで)

 泣いている快斗を見たとき、内心で大層驚いたものだが、どうやら事態はまあまあ微笑まし
いものだったようで。

 「快斗、ツキカゲは奥だね?」

 ツキカゲとはウサギの兄の方である。快斗は頷いて、盗一の服の襟元をきゅっと握って訴え
るようにして言う。

 「さっきから…ずっと、へ、部屋から出てきて…くれないんだ」

 泣きながらも漸くそこまで言ったはいいが、後に続く言葉は、口にすることでさらに喉の奥が
痛むかのように、快斗は顔をぐしゃぐしゃにして続けた。

 「部屋に…入れてもくれない…っ」

 言い切った途端、盗一の首にしがみついて襟を濡らしてしまう。いっそ威勢の良いまでの泣
きっぷりだった。

 「快斗」

 盗一は快斗の背中をぽんぽんと軽く叩いて、腕から降ろす。快斗はまだ泣くばかりで、盗一
の顔をしっかりとは見れなかった。盗一はステージ用のポーカーフェイスなどではなく、恐らく彼
とかなり親しい者にしか見せないだろう表情を…苦笑をしていた。

 「いい子だね」

 閉じられたままの扉の意味が、わかったからこその、笑みであった。

 「ここはわたしに任せて、快斗は寺井と広間に行っておいで」
 「でも」
 「せっかく二人で飾り付けしたんだろう?」

 不安そうな快斗の頭を丁寧に撫でる。黒いウサギ耳を落とさないように。

 「大丈夫。君のツキカゲもすぐに行かせてあげるから」

 そういえば帰ったとき、廊下にまで装飾がされていたことを思い出しながら、寺井に目配せし
て快斗を下の広間に向かわせる。
 まだ残っていたそうだった快斗を寺井に連れ出してもらって、盗一はそっと扉を開けた。快斗
がここにいては、彼はどこまでも頑固に出ては来ないだろう。
 寝室の奥にある寝台には、盗一の思った通り、白い軍服を着てぐったりと横たわる彼がい
た。

 「やあ、ツキカゲ将軍」
 「…お帰りなさい」

 目だけを盗一に向けて迎える姿に、これは相当無理をしたらしいと盗一は察した。
 
 「君のゲッコーが泣いていたよ。可愛いそうに。頑張りすぎたね」

 寝台に腰掛けて、先ほど快斗にしたように、寝ている背中をぽんぽんと、愛しげに叩く。

 「…快斗、今夜のことをすごく楽しみにしてたんだ」
 「弟想いのお兄ちゃんを誇りに思うよ」

 今夜はハロウィン。天気は前日から生憎の様子で、月は姿を見せない。こんな日、いつもな
ら寝台で横になっているのは快斗の方のはずだが、快斗は寝室に籠もった兄を想って泣いて
いた。

 (快斗に生気を与えすぎたか)

 盗一が戻るのを待たず、自分の生気のみで何とかしようとしたのには、盗一に認めてもらい
たいという気持ちと、快斗のことは全て兄である自分が何とかしたいという、弟への独占欲もあ
ったのだろう。寝室に籠もったのは、弟が妙な自責の念に捕らわれないようにするためと、弱
っている姿を見られたくないという、強がりか。
 幾分、気まずそうにしている彼の耳の下に、盗一は手を添える。

 「わたしの生気をあげようね。快斗に元気な姿を見せておあげ」










 広間には大小様々なジャック・オー・ランタンに色とりどりのスティックキャンディ、寺井お手製
のパンプキンプディング…互いの口に菓子を運んで食べさせ合っている双子の笑い声が響く。
 それを満足げに見ている盗一の前へ、寺井が静かに紅茶を置いた。

 「寺井にも心配をかけたね」
 「・・・やはり寺井も一族にお加えください」
 「それは、いけないよ」
 「ですがまた今日のようなことがあっても・・・」

 今日のようなこと・・・寺井が大切にしている主人の、愛しい子ども達が月のない夜に泣いてい
るとき、寺井には盗一の帰りを待つことしかできなかった。
 寺井が一族の者であれば、快斗は寺井からも生気を得られる。月光から生気を得て、他の
者へ供給することができる一族の者が増えることは、確かに黒羽のためになる。
 けれど、寺井のその願いだけは、盗一はいつでも否と返していた。

 「わたしも子ども達も、みんな寺井のことが好きなんだ」

 だからこそ、月の光に強く影響を受ける、この不安定な存在にしてはしまえないと、盗一は思
う。

 (快斗の体の弱さは、きっと象徴だ)

 弱りゆく一族か、その糧である月光か。
 何とかせねば…と、盗一は思案する。

 「…ではせめて、別な形で、寺井は誠心誠意お力となれるようにいたしましょう」
 
 落ち着いた寺井の声に盗一はただ感謝する。時折、一族の存在を不安に思うなか、彼が淹
れてくれる紅茶の温かさに、どれだけ救われてきたことか。

 「ありがとう」

 静かに紅茶を口に含む。それは今夜も、確かな温かさを盗一に与えた。双子は互いの頭か
ら落ちそうになっているウサギ耳を直し合っているところだった。
 その光景に微笑んで、この時間がいつまでも続くと良いと願ったのは、盗一か、寺井か・・・い
まは姿を隠している、月か。










 双子が庭の木の下で眠る盗一を見つけるのは、もっと後のことである。