|

波と銀
「綺麗だぞ、快斗。」
新一の声が、優しく快斗に降りかかってくる。
「あ・・・やだ・・・そんなこと言っちゃ・・・」
答える快斗の声は、押しよせる何かに必死に耐えているかのように震え、細い。
「本当に綺麗なんだよ。」
「んぅ・・・」
「だから、そろそろ・・・」
「や。待って・・・」
「そろそろ・・・・・・いいかげんに、そこから出て来い。」
“無理”
新一は、引きつりながら微笑む快斗の背後に、二文字を見た。
「一応確認しとくけどな、ここに誘ったのは誰だった?」
「・・・俺。」
「そうだな。お前が海に行きたいって言って、しかも場所まで指定して・・・俺たちはいま、この
透き通るほど綺麗な海の上に居るわけだ。」
新一は船の端の方に立って、海の下を指差すが、快斗は船室の奥で小さくなって、新一の居
る外を見ようとはしない。
「透き通ってるんだよね? ・・・海の、水。」
「ああ。かなり底の方まで見えるぞ。いまも、ほら。色とりどりの、さ・・・」
「だぁぁ! 言わないで良い!!」
耳を両手でふさいで、さらに小さくなる快斗に、新一は呆れ顔だ。溜め息も遠慮ない。
(ったく、なんのつもりだか・・・)
夏休みに入って、海に行こうと言ったときには、新一は快斗の魚嫌いが、とうとう克服された
か、または克服しようと思っての提案なのかと考えた。
快斗が海の指定までしたのは、この海域に生息する魚なら大丈夫になった、とかいうことだっ
たりして・・・なんてことまで推測して、ホテルを予約して、船をチャーターして、今日のこの場を
セッティングしたというのに。
「かーいーと。」
「ん〜・・・もうちょっとだけ。あともうちょっとだけしたら、そっちまで行く決心つけられるから、
もうちょっとだけ待って!」
「待っててほしけりゃ、キス1回。」
「ここで!?」
相手に何か頼みたいことがあるときは、“お願いします”のキスをすること。快斗と新一の間で
いつの間にかできていたルールの1つだった。
「ホテルに戻ってからでもいい?」
なにせ、この部屋には居なくても操舵室に寺井がいるのだ。快斗にしてみれば、とんでもなく
照れ臭い。
「ホテルに戻ってからにしてほしけりゃ、キスもう1回な。」
「どっちがいい?」と聞いてくる新一の、なんと上機嫌なことか。快斗を困らせるこの状況を、
いかにも楽しんでいます、というのがありありと窺える。
寺井だって当分操舵室から出てはこないはずだから、ここでしても見られることはないだろう
が、目の前の新一を見ていると、どうにもキスだけでは済まなさそうに思え、快斗は泣く泣く、ま
だ安全策と思われる方をとった。
「ホテルで2回する。」
「良し、忘れんなよ。」
にこにこと、新一はさらに上機嫌になって船室の中に入り、快斗の傍に座った。膝に両手を
グーにして乗せている快斗の手の上に自分の手を被せ、ポンポンと軽く叩いて魚への恐怖を
慰める。
「けどよ、なんでまた海に来ようなんて言ったんだ?」
責めているのではなく、純粋に疑問だという様子で聞いてくる新一の手を、今度は快斗がグッ
と握って、立ち上がった。どうやら、ようやく外に出る決心がついたらしい。
「快斗?」
引きずられるような勢いで付いて行く新一だったが、快斗の表情を探ろうとしてぎょっとした。
(げっ、こいつ目ぇ瞑ってやがる!)
外に出る決心はつけたものの、外を見る決心まではつかなかったのか、快斗にしては苦肉
の策だったのだろう。
「・・・・・・しゃあねぇな!」
空いている方の手で快斗の腰を抱き寄せ、ずんずん進もうとする快斗の動きを止める。
「・・・?うわっ、新一!?」
ことが済むまで開けまいとしていた快斗の目も、突然のことにさすがに開いてしまう。気が付
いたら、快斗は新一に横抱きにされていた。
「二人そろってすっ転ぶよりいいだろ。」
そのまま、快斗を抱えて外に出た新一が、新一に抱えられていることで心置きなく目を瞑って
いる快斗の耳もとで「端まで来たぞ」と告げると、新一の声にピクリと反応した快斗はできるだ
け水面を見ないよう、遠くの空に目線を向けて、スッと静かに、何かを手元に出現させた。新一
と密着しているため煙幕は使わなかったのに、相変わらずどこから出したのか新一の目には
わからなかった。
「ラム?」
「うん。」
水面を見ないように、新一の腕の中でさらに新一に身を寄せてから、再び目を閉じてラム酒
のボトルを持つ腕だけを海にのばし、傾けた。トポトポと、薄茶色をした液体が、甘い香りをつ
れて海に落ちていく。
「キッドをやっていた頃に、ね。」
いつの間にか顔を上げて、海の遠くを見ながら、快斗がポツリと言った。
「この海で、海賊に会ったんだ。」
―――――おめぇも早く・・・守るべきものをみつけるんだな・・・
そう言って、僅かな動力しか残っていなかった船に戻った海賊のことを、快斗は思い出す。
彼は選んだ。丘に上がって生きるより、船で父や仲間と往くことを。まっ白な未来より、暗い
海底での思い出を。あの海賊が選んだ、守るべきものは、もしかしたら新一と出会っていなか
った自分も、いつか選んでいたかもしれないと、快斗は思う。
「・・・・・・・・・。」
いつまでも遠くを見ている快斗の意識を、何故だか早く自分のもとへ戻したくて、新一は快斗
を抱く腕に力を込めた。それに気づいて、快斗は意識を新一の方へと戻した。
快斗は語る。青子と訪れた海で、かつて海賊が乗っていた潜水艦を見つけたこと、そこで育
ち、父や仲間と辛い別れをし、彼らの墓所ともなったそれを守り、離れられず、そして永遠の宝
探しに出た海賊の話を・・・。
「ラムは、そいつへの、餞ってやつか・・・?」
「俺の宝探しは終わったからさ、そいつの・・・シルバーって名前の奴なんだけどね。シルバー
の旅も、彷徨うことなく終われるように・・・って思って。」
「それに」と続ける快斗の瞳は、太陽からの光のせいだけではないような、眩しいものを見る
ときと同じ瞳をしていて、その快斗自身の瞳も、きらきらと、まるで光を反射させる宝石のような
眩しさをもっていた。
「それに、新一は俺にとっての“大海の奇跡”だから。新一を絶対、あいつのいる海に連れて
来たかったんだ。」
彼の乗る海賊船が、その宝石を掲げた船のように、決して沈むことのないように。
「ブルーワンダー?」
「そぅ。」
「俺が?」
「そ♪」
「・・・快斗。」
「うん?」
「抱かせろ。」
言われたことを理解した頃には、快斗の体は船の上におろされ、既に新一に乗っかられてい
た。
「な、なんだよ、なんでいきなりそうなるんだよ!?」
必死に抵抗しようとしても、下手に動けば海面が見えてしまう。
「うるせえ。予想してなかったところに、いきなり可愛いこと言ったお前が悪い!」
「そんなの知るかー!!」
ずりずりと船の端から中央の方へと逃げを試みながら、快斗はなんとか新一のキスから逃れ
ようとする。海面の下を見ないように注意を払って動いたとき、太陽の光に反射して、海がきら
きらと輝いているのを、快斗は見た。
シルバーと、彼の仲間達が乗る船が往く先も、こうして、きらきらと輝いていると良い。彼らが
守ろうとした、宝や、海へ寄せた夢や、仲間達と過ごした輝かしい冒険の日々のように。
(見つけたよ、シルバー。・・・俺の、守るべきもの。)
自分も冒険をした。そして見つけた、至高の存在。
・・・まあ、いまは。その存在から、自分の身を守らないといけない状況にいるわけだけれど。
「助けてシルバー!」
「あ、バーロー、こんなときに他の男の名前なんて呼ぶんじゃねぇ!!」
・・・・・・一方、操舵室では。
「お止めに入るべきか、聞こえてない振りをするべきか・・・。」
顔を赤くしながらの、寺井の葛藤の行く末は、銀色の波だけが知っている。


|