この瞬間




 怪盗をしていることへのストレスか、それともただの夏風邪かもしれない。 
 名も知らない病は底が知れず怖いので、そう思うことで気を落ち着けようとした。 





 頭が痛い。 
 左目の奥からじわりじわりと痛みが広がって、脳の左側を握りしめられたかのような感覚
だ。 
 おまけに、吐き気まである。 
 先ほどから何度も、胃の中が空になるほど吐いたというのに、いまだ吐き気がおさまらな
い。 薬は飲んだ。しかしそれごと吐いてしまった。 
 辛い。怖い。 
 この先自分は、どうなってしまうというのか。
 何せ胃はとうに空っぽなので、数時間も経てば、少なくとも吐き気の方はおさまるだろうとは
わかっているが、それでもこの怖さはどうしようもなかった。 
 このまま死んだらどうしよう、なんて、実際にいま死に直面している人からすれば、阿呆と罵ら
れてしまいそうな、本当に阿呆なことまで考えてしまう。 
 しかし辛い。そして怖い。 
 洗面台を前にして立つ足も震える。鏡の中の顔は真っ白だ。口はだらしなく開いている。わざ
わざ閉じるための力はない。 
 また吐き気が襲う。鼻水と涙まで出てきた。吐いて楽になるかと期待もしたが、耳と顎の下、
それとあばらの内側がやけに痛むばかりで、どうしようもない絶望感は追い出せない。 
 水で口の中を洗う。 



 「 工藤 」 



 生にすがりつく者の声で口にした。 
 こんなに辛いのに、怖いのに。 
 すすいだ後の口から出 たのは、神様でも両親を呼ぶ声でもなく、かの探偵のそれだった。 
 なんてことだろう。 
 鏡の中の顔がいっそう白く見える。 
 頭痛と吐き気と怖さのために役立たずになった頭で気がついた。 
 
 

 

 恋をしていた、彼に。