彼らの中の真実




 真っ白な体と真っ赤な瞳をもつ小さな命が、快斗の肩で翼を休めながら、頬に甘える。

 「お疲れさま。」

 快斗からも鳩に擦り寄るように頬を寄せ、鳩の足に付けていた超小型の盗聴器を回収した。
 キッドの予告した美術館がよく見えるビルの屋上からは、中森警部が今日も元気に現場指
揮をとっている姿が見える。

 「さて、と。・・・めざすは正義の完全犯罪・・・ってね。」

 呟く快斗に、鳩が小首を傾げる。最近、犯行前に快斗がよく口にするようになったそれに、反
応したのだ。










 「何よ、バ快斗!」

 教室内の机と机の間をモップが踊る、キッドの仕事の次の日。快斗は今日も青子を怒らせて
しまった。
 事の発端は、まぁ、いつものことで。朝、席で新聞を広げて、キッドが活躍したという記事を嬉
しそうに読んでいる快斗に青子が怒って、快斗の新聞を丸めてポイした。快斗が手品でそれを
小さな煙幕とともに手元に戻し、青子をなだめて、仕上げに青子の父である中森警部のことを
ヘボ呼ばわりし、一瞬大人しくなっていた青子だったが、そのヘボ発言でさらに怒った、と・・・ま
ぁ、本当にいつものことだった。

 「快斗。」
 「んー?」

 その日の放課後、二人は並んで帰り道を歩く。
 いつもなら、朝のそんなやりとりなどまるでなかったかのように、青子と快斗は一緒に帰るの
だが、今日の青子は何やら考えているように、鞄を持っていない方の手を口元にやりながら、
ちらりと隣の快斗を見た。

 「お父さんのことだけどね・・・」
 「ああ・・・青子ちゃんの最愛のお父様を、ヘボと呼んでしまった僕がいけなかったんです。」

 一瞬でしんみりとした表情を作り、うなだれる快斗に、青子が頬を膨らませる。

 「もうっ、そうじゃなくて!」
 「じゃ、何だよ?」
 「・・・快斗がキッドファンだからお父さんよりキッドの味方しちゃうのは、悔しいけど。お父さん
のことをそう言うのも、そのせいだっていうのもわかるけど・・・そうじゃなくて!」
 「お、おい・・・青子?」
 「快斗、なんだかんだ言って、お父さんのこと好きでしょ?」
 「・・・・・・。」

 たとえ一瞬のものでも、青子にとって快斗の沈黙は肯定を意味するのだとわかる。快斗の反
応に、表情を緩めた青子が続けた。

 「快斗、小さい頃はよくお父さんに懐いてたでしょ?」
 「・・・ガキの頃はな。」
 「こないだ煮物のおすそわけに来てくれた時に、青子のお父さんに会って嬉しそうに笑ってた
のは誰?」
 「見てたのかよ・・・。」

 青子が、お返しにと炊きこみご飯を包みに台所に行っている間のあれを。
 ぶっきらぼうに言いながらも、顔はしっかり赤くしている快斗に、青子がにこりと笑った。

 「あのね、快斗。もし、青子に遠慮してる・・・とかだったら、青子は全然、いいんだよ?青子だ
って、おばさまに甘えさせてもらってるところ、あるんだから。だから、快斗ももっと堂々と、お父
さんに甘えちゃえばいいよ。」

 微笑みながらの青子の言葉に、快斗は完全にポーカーフェイスをどこかへやって、ぽかん
と、ただ口を開けてしまう。自分の身に何が起こっているのかわからないとか、突拍子もない青
子に呆れて・・・などではない。

 「青子。」
 「なぁに?」
 「や、なんでもねぇ。」

 (青子って、すごい・・・。)

 呆然と口にするのはなんだか照れ臭かったので、快斗は口元を片手で覆って、さっきよりさら
に赤くなっているだろう顔の半分を隠す。
 さ、まずはあの夕日に向かって、「おじさん大好き、愛してるーっ」とでも叫ぼうか、と語尾にハ
ートマークまでつけてそうな程の上機嫌で快斗の背中を叩く青子には、ははは・・・と、照れ隠し
でなく、本心からの苦笑でもって返したが。










 (まさかあれを、いまここでやるわけには、いかねえよなぁ・・・。)

 あれ、とは。先日の放課後、青子が快斗の背中を叩きながらすすめた“あれ”のことで。
 いまここで、とは。キッドの予告日の、逃走経路の途中で、である。ほんの数メートル後ろを、
中森警部が部下を引き連れて追いかけていた。河原で寂しそうな背中を見せている警部より、
断然活き活きとしていると、快斗は思った。

 (青子のお許しも出たことだから、今度、堂々と肩をたたきにいこう。)

 口笛一つでそう決めて、キッドはどろんと、警部の前から姿を消した。










 「はあ、それは・・・青子さんが大人でございますねえ。」
 「なー。青子のくせに。」

 開店前の、寺井の店。カウンター席で次の仕事の打ち合わせをしながら、そういえばと、快斗
が青子とのやりとりと、仕事のあった日の週末、警部の肩たたきをしてきたことを話した。それ
を聞いての、寺井の感想。

 「な、寺井ちゃんがキッドをやってた時もさ、警部は追いかけてきてただろ?」
 「ええ。それはもう、威勢よく。」
 「やっぱり、警部の瞳はキラキラしてた?」
 「まるで少年のように。」

 8年ぶりにキッドを追って走る姿は、それはそれは嬉しそうだったと寺井は語る。

 「警部はさー・・・キッドがまた出なくなったら、今度こそしぼんじゃいそうだよね・・・。」

 快斗が、カウンターに頭をコツンと乗せて、ポツリと言う。

 「ぼっちゃま・・・?」
 「それでもさ、キッドはいつか、また警部をおいていっちまうんだよな。」
 「・・・ぼっちゃま、何を考えておいでです?」

 寺井の声が、少しだけ低くなった。

 (警部は、残される者だ。)

 カウンターの上で、頭だけでごろりと寝返りを打って、目を閉じる。
 小さな探偵と誕生日プレゼントの交換をしてから、快斗は、ある思考にはまるようになった。
 ――――― 去る者、残される者、そして、得る者。

 (俺はこの前まで、去っていくコナンに残される者だった。)

 それがどうにも寂しくて、かの名探偵を完全には失わないで済むように、快斗がした。それか
ら快斗は、江戸川コナンに去られても、いつか工藤新一を得る側にまわることができるように
なった。それと同時に、工藤新一も、黒羽快斗を得る。怪盗キッドが仕事をしなくなる日がきて
も、工藤新一には快斗が残る。

 (蘭ちゃんは・・・コナンが居なくなっても、工藤を得るだろ・・・一課の人たちも。優作さんと有
希子さんは、変わらない、か。ああ、お隣の博士とお嬢さんもだ。西の探偵も変わりはなさそう
だよなあ。)

 そこまで考えていくと、いつも、どうしても快斗の胸につかえが生まれる。彼らのことが、無視
できなくなるからだ。それは、つい先日まで、快斗と立場を同じくしていた・・・少年探偵団。

 (ごめん。俺だけそこから逃げちゃった。)

 そして、喪失を怖れる自分にいたたまれなくなり、幼い彼らへの罪悪感から逃れるように、思
考を、今度は快斗を軸としたものに切り換えて・・・さらなる罪悪感へと落とされるのが、パター
ンとなってしまっていた。

 「・・・キッドの秘密は、誰にもやれない。」
 「もちろんですとも。」
 「だから、消えるときは完璧に。キッドがどこへどうやって消えたのか、種も仕掛けも、微塵も
見せず、キッドなどまるで元から存在しなかったかのように、消え失せる。」
 「そして、キッドの消失を完全なものにするためにも、ぼっちゃまは飄々と、堂々と日常の生
活を取り戻すのです。」
 「めざすは正義の、完全犯罪・・・。」
 「左様でございます。」

 語る声にまだ明るさのない快斗の、うつ伏せた頭の高さまで、寺井が屈む。

 「ぼっちゃま?」
 「ん〜・・・。」
 「警部殿がキッドの正体を知れば、その悲しみようはキッドの消失どころではないと、寺井は
思いますが・・・」
 「んぅ・・・。」
 「もともと、怪盗キッドの復活は寺井が個人的な感情で始めたことです。警部殿や、ぼっちゃ
まが大好きな方々を欺くことへの罪は、寺井が背負います。ですからぼっちゃまは、ぼっちゃま
の信じる正義のために、ぼっちゃまの時間を使ってください。」

 そう語る寺井は、とても穏やかな顔をしていた。いつも仕事前に、快斗の身を心配し、気遣う
ばかりの寺井だから、寺井のこの覚悟は、きっと本気なのだろうと、快斗にはわかる。わかる
からこそ、いたたまれなさが増した。
 いつまで経っても、祖父の背に守られながら外を歩く、子どものような気分だった。

 (キッドを復活させたのは寺井ちゃんでも、続けてるのは俺のわがままなんだから・・・寺井ち
ゃん一人に背負わせるわけには、いかねえ。)

 うつ伏せていた顔をあげて、寺井と目を合わせて、告げた。彼を心配させないように、にやり
と笑って。

 「キッドは、やめない。俺が決めたことなんだから。」










 寺井の店から家までの帰り道、それにしてもと、考えながら快斗は歩く。また別の思考にはま
りそうになる快斗の目は、自然と前ではなく足元に向いていた。
 快斗の目を下へ下へと向けさせるのは、先ほど寺井が口にした言葉だった。

 『ぼっちゃまの信じる正義のために・・・』

 (俺の、信じる正義・・・って、なんだろう。)

 “正義”・・・ただしいすじみち、正道。
 “正道”・・・道理に合った、まじめなみち。ただしいあり方。

 快斗の脳内にある辞書のなかを探しても、これくらいの意味しか、出てきやしない。

 (怪盗やってる時点で、正義もなにもないけどさ・・・。)

 それでもキッドを慕う人々が、その存在を正義の味方のようにも言うのは、おそらく、キッドが
人を傷つけないからだろう。さらに言うなら、快斗がせめてもと、そうした想いをもってキッドを
見ようと現場に集まった人々の夢を、壊さないように心がけていることも大きく関係しているの
だろう。

 (そんできっと、一番キッドに夢を抱いてるのが、警部なんだよな。)

 快斗は、自分が好きな人たちには、出来るだけ傷ついてほしくないし、失う痛みを、味わって
ほしくないと思う。父を失ったときの、突然襲ってきたあの底の知れない絶望を、知って欲しくな
いからだ。

 (でも、警部は・・・そうだ、警部だけは、好きだからこそ、失くさせる。)

 キッドの存在を、完全に。

 「めざすは、正義の、完全犯罪・・・」
 「玄関先で、物騒なこと言わないの。お客様が来てたらどうするの?」
 「おふくろ」
 「お帰り。」

 自覚はなかったが、自宅に着いたことで気が緩まっていたのだろうか。何とはなしに口から漏
れ出た言葉に、母がたしなめた。










 「さっき青子ちゃん来てたのよ。快斗に肩をたたいてもらったこと、警部さん喜んでたって。」
 「そっか。」

 もうすぐ夕飯にできるから、と煮物の入った鍋を火にかけながら、母が台所をぱたぱたとスリ
ッパを鳴らしながら言う。快斗の服の中に入っていた鳩がするりと抜け出て、母の肩にとまっ
た。

 「あ、それとね、快斗・・・」

 鳩に菜っ葉をあげようかと、冷蔵庫の方に体の向きを変えた母の目の前には快斗が居て、
ちょうど冷凍庫の中をガサガサと漁っていたところだった。

 「あ、こら、夕飯前なんだからアイスなんて食べないの!」
 「もう口に入れちゃったよ☆ んで、それで?」
 「もう・・・。あ、それでね、もし警部さんのこと考えてるなら、心配いらないと思うわよ?」
 「・・・は?」

 話の先を促す快斗に、腰に手をあてて可愛らしく溜め息をつきながら、さらりと流れるままに
母が言った言葉に、快斗は目を瞬かせる。

 「そりゃ、キッドが出なくなったときの、警部さんの寂しがりようったら、わたしから見ててもわ
かるくらいだったけど・・・それでもその間にも、青子ちゃんをあんなに良い子に育ててたの
よ?」
 「あ。」
 「大丈夫よ。今度だって、警部さんのことは、青子ちゃんがしっかり支えるわ。」

 

 『青子は全然、いいんだよ?』
 『だから、快斗ももっと堂々と・・・甘えちゃえばいいよ。』



 あの日の青子の言葉が、快斗のなかで甦る。あの時の青子は、自分がいままで見てきた以
上に、大人だった。大好きな父を、快斗に差し出せるほどに。

 「・・・そっかあ・・・俺、そこは青子に甘えていいんだ。」

 ぽかんと、目をまるくさせ、大きく息を吐き出しながら、けれどすっきりとした顔で言う快斗を
見て母が微笑み、いい子いい子と、頭を撫でる。鳩が彼女の肩から、快斗の肩へと飛び移り、
快斗の頬に甘えた。

 「そうよ。なんでも一人で片付けようとしてたら大変よ。それより、快斗は自分で決めたことだ
け、しっかりやるの。」

 「それって何だった?」と促す、目の前の母。快斗のことを孫のように可愛がってくれている、
寺井。父のように優しく大きな存在の、警部。いつも傍にいてくれる、青子。快斗の身を案じてく
れている、紅子。快斗の抱えている問題を、少しでも知りたいと言い、時には助けようとさえし
てくれる、白馬。・・・いつか真実の姿で目の前に立ってくれると、あの日約束してくれた、探偵。

 「俺のことを大切に思ってくれてる人たちのところに、ちゃんと無事に帰ること。」
 「そうよ。そこを見失っちゃだめよ?」

 よしよしと、また頭を撫でる母の手に心地よさを感じながらも、快斗は少し照れ臭い。

 「みんなに心配かけて、おふくろにもこうやって撫でられて、なんかこれじゃ、まるっきり子ども
みたいだ。」
 「いいんじゃない? 正義なんて言葉、大人になっちゃったら、そうそう口に出すこともできなく
なっちゃうわよ。」

 「さ、ご飯にするから、着替えてらっしゃい」と背中を押されて、快斗は2階の自室へと向かう。
 鳩は、今度こそ菜っ葉をもらおうと、快斗の肩からまた母の肩へと移っていった。










 ・・・快斗が階段を昇っていった音がして、リビングには母と鳩だけが残る。

 「快斗が悩んでること、教えてくれてありがとう。」

 言われて、お礼にと菜っ葉を差し出す彼女に、鳩が小さく、可愛く鳴いた。