紫陽花のミドリ




 しとしと・・・と、外は雨。 
 盗一は久しぶりの休日で、家族揃って、何処かへ行こうかと計画していた。久しぶりに家族と
過ごせることに、彼は自分で思っていた以上に、浮かれていたのだろう。この梅雨時に、雨が
降ることをまったく予想していなかったのだから。 


  


 朝、張り切って起きたら外は雨で。彼は思わず、助けを求めるかのように、既に起きて朝食
を用意している妻に、視線を向けてしまった。 
 「残念だったわね」と、クスクスと可愛らしく笑われながら慰められて、洗面所の方を、フライ
返しで指される。快斗が目覚める前に、快斗にとっての“余裕ある自慢の父”の顔に戻ってい
なさい、という意味だろう。 
 仕方ない。家でのんびり一日過ごすのも、素敵なことだと、盗一は思い直した。 

 そして、午後。 
   
 朝起きたときには、外出がキャンセルになったことに、盗一よりガッカリしていた快斗も、洗面
所で快斗より先に立ち直っていた盗一に「今日は快斗から見えるところに、ず〜っと居るよ」と
抱きしめられて、すっかりご機嫌を良くしていた。 
 昼食を摂ってからは、快斗はリビングで、母と折り紙をしていた。その間にも、ちらちらと盗一
を見ては、朝の宣言どおりに、自分の目の届くところに盗一が居ることを確かめて、嬉しそうに
笑っていたのだった。 

 「お父さん、見て!見て!」 

 何かを完成させたらしい。小さな手に、紫色の折り紙を大事そうに持って、ソファに座る盗一
のもとに駆け寄ってきた。 

 「ん〜?ああ、これは・・・紫陽花だね?上手に折れているね。綺麗だ。」 
 「お母さんに教えてもらった!」 
 「快斗は器用だから、折り紙も上手ねえ♪」 

 父と母に褒められて、嬉しいのだろう。にこにこと、頬を紅潮させて笑う快斗を膝に乗せて、
盗一が快斗の肩越しに言う。 

 「じゃあ、快斗。今度はわたしに教えておくれ。」 
 「いいよ!えっとね、最初にこう折って・・・」 
 「うんうん。」 

 母が快斗と盗一のために持って来てくれた折り紙で、快斗は盗一に、母から習ったばかりの
折り方を、一生懸命に思い出しながら、教えた。 

 「あ。」 
 「どうした?快斗?」 

 ふいに、折るのを止めた快斗に、盗一が尋ねる。 

 「これ・・・こっちの色で折ると、四葉のクローバーみたいになるね!」 
  
 そう言って、快斗が手にとったのは、優しい緑の色をした折り紙だった。 
  
 「まあ♪」 

 盗一は、妻が上機嫌で、ぽん、と手を合わせる音を聞いた。 

 「本当だ。すごい発見だよ、快斗。よし、じゃあ今度は、ありったけの緑の折り紙で折ろう。」 
 「クローバー、いっぱい作るの?」 
 「そう。快斗とお母さんに、良いことがたくさん訪れるように。」 
  
 快斗と妻の瞳を交互に見ながら、盗一が優しい祈りを込めて、緑色の折り紙を一枚、抜き取
る。 

 「じゃあ、お父さんの分は俺が作ってあげる!」 

 快斗がそう言って選んだ折り紙の緑を、盗一は忘れることがなかった。 
  




 「・・・なーんてことがあってねぇ・・・ああ、本っ当に可愛かったなあ。」 
 「そうかい・・・。」 

 ワイングラスを片手に、月を見上げて思い出を語る友人を、工藤優作は内心でため息をつき
ながら見つめた。 

 「つくづく良い子だね、快斗君は。・・・でもね、盗一。」 
 「うん?」 

 盗一が、ようやくきちんと自分を見てくれたことに安堵する。 

 「こんな場所でうっとりと語るのは、どうだろう?」 
 「あー・・・そうだね、この時期だから、いつ降り出すかわからないしな。屋根がない場所は、ち
ょっと心配だよね。」 

 (そういう問題じゃないだろう!) 

 ツッコミを大声でしなかった自分を、偉いと優作は思った。 
 もう、何事も深く考えてはいけないのかもしれない。この友人のすることには。なにせ、初代
怪盗キッドだ。常識人であるはずがない。どこかぶっとんでいるくらいで良いのだ。だからこそ、
こう言うのもなんだが、やはり変わり者である自分と親友同士なのだ・・・と、優作は自分で自分
を納得させる。 
 そう・・・たとえ待ち合わせ場所が、毎回“本人が眠っているはずの”墓の前だとしても、それだ
からこそ、彼なのだと。 

 「・・・で?お前の脇にある箱は、何かな?大体、想像はつくが。」 

 想像がつくからこそ、盗一の横に大事そうに置かれた白い箱を、やや呆れを込めた目で見
やる。箱には鮮やかな青いリボンが飾られていた。 

 「ははは。多分、その想像通りだよ。・・・協力、してくれるだろう?」 
  
 盗一に、かつての怪盗の眼と口元で不敵に笑われ、優作は己のすべきだろうことに予想をつ
ける。 

 「わたしに、それを快斗君に届けてほしいって?・・・まったく。やっかいなことに手を出してる
から、自分で渡せないなんてことになるんだ。」 
 「・・・返す言葉もない。」 

 珍しく、自分に向けられた盗一の困り顔を見て、仕方ないな、と優作は月を見上げた。 




  
 「やあ、快斗君。」 
 「優作さん!いつこっちに帰ってたんです?」 

 自宅に突然訪ねてきた、珍しい客人を門の前で迎え、快斗は驚きながらも嬉しさを隠すこと
なく応える。 

 「ちょっとね、懐かしい友人に会いに。あ、新一には黙っててくれないか。感動の再会を狙って
いるんだ。」 

 口元に人差し指をもってきて、片目をつむる優作に、快斗も同じように片目をつむって返す。 
  
 「いいですよ。それで、名探偵を驚かせるのに、俺は何をお手伝いしましょう?」 
  
 快斗のその問いには、優作は微笑むだけで、ふいに、しかし流れるような動作で背中に隠し
ていたらしい何かを取り出す。 

 「・・・はい。」 
 「え?」 

 快斗の目の前に差し出されたのは、白い箱。受け取ってみると、箱の大きさの割りに重くは
なく、受け取ったときのはずみで中のものが動いたのか、カサカサと、小さなものがたくさん入
っているような音がした。 

 「今日はね、これを届けに。・・・誕生日おめでとう、快斗君。」 
  
 大切そうに言葉を紡ぎ、優作が快斗の頭を撫でる。 

 「え、あ、ありがとうございます・・・これ・・・?」 

 優作の手の感触に心地よさを覚えながらも、快斗が聞いた。 
 「開けてごらん」と瞳で言われて、そっと箱を開ける。 
 ・・・中には、色鮮やかな緑の折り紙で折られた、箱いっぱいの紫陽花の花があった。 

 「盗一がね、今日この日に、君に渡してほしいと言っていたんだよ。」 
 「親父が!?」 

 今日、この日・・・快斗の、誕生日に。 
 盗一から、という言葉を聞いただけで、目からこぼれてきた涙を、快斗は慌てて手の甲で拭
った。 ・・・覚えていたから・・・この箱いっぱいの、緑色の紫陽花が、いつか折ったクローバーで
あることを。 
 拭ってもまだ頬は濡れ続け、髪や肩にかすかに感じるポタリポタリとした重みを感じた。
 雨が降ってきたようだった。 

 「降ってきてしまったみたいだね・・・。さあ、もう中へ入りなさい。風邪を引いてしまうよ。」 
 「え・・・。」 

 優作に、あがっていかないのかと言おうとした快斗だったが、優作のことだ、あがっていける
時間があるなら、最初からこちらが勧めなくともあがっていたろう、と考えなおし、もう一度、丁
寧に礼を言うに留めた。 

 「あ・・・待っててください、せめて、傘・・・!」 

 優作が体の向きを変えようとすると、快斗が慌てて引きとめ、玄関の中へと駆けて行く。そう
して門の前まで戻ってきた快斗は、一本の黒い傘を優作に差し出した。 

 「俺ので良ければ、どうぞ持って行ってください。俺はまだ何本か持ってるから、大丈夫です
から。」 
  
 一瞬だけ、驚いたように瞳を大きくさせてから、優作が傘を受け取る。 
  
 「ありがとう・・・大切に使うよ。」 





 (本当に、良い子に育ったなあ・・・) 

 待ち合わせの場所に向かいながら、優作は快斗からもらった傘を見ながら思う。 
 そこは、夕方の公園。雨も降ってきて、人はあまり居ない。待ち合わせに決めておいた木の
下には、優作と同じように、黒い傘をさした男性が、傘で目元を隠し、口元だけで笑みを形作っ
て立っていた。 

 「やあ、お帰り。」 

 傘を持ち直し、木の下で顔をすっかり見せて、工藤優作が盗一を迎えた。 





 「しっかり渡してこれたみたいだね。」 
 「思いがけず、嬉しいお返しまで頂いてしまったよ。」 

 一瞬で工藤優作から黒羽盗一の顔に変装を解いて、自分が持ち帰った傘を、傘のもち手を
持っていない方の手で指差す。その盗一を見て、優作は微笑ましく思いながらも、いつも彼を
からかうときの顔を作って、言った。 

 「思い切り相好が崩れているぞ。今日はポーカーフェイスはお休みの日かい?いまも世界中
にいる君のファンには、見せられない姿だなあ。」 
 「・・・返す言葉もない。」 

 口元を手で隠し、盗一が笑った。